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『そして夜は甦る』感想 都会の片隅で生きる騎士道物語としてのハード・ボイルド

そして夜は甦る

1988年に原尞の手によって生み出された私立探偵・澤崎を主人公とするシリーズの第一作目。二作目の『私が殺した少女』で原は直木賞を受賞している。

ハード・ボイルドものの翻訳ミステリーを乱読していた作者の嗜好が詰まった、レイモンド・チャンドラーふうの和製ハード・ボイルド。特にチャンドラーの『さらば愛しき女よ』は執筆中に場面転換後の描写の量など手本にしたとポケット・ミステリ版の作者あとがきで解説されている。

『そして夜は甦る』あらすじ

秋も終わりに差し掛かった季節のこと、澤崎の事務所に妙な男が訪ねてくる。男は自分の素性を明かさず、佐伯というルポ・ライターがここを訪ねてきたはずだ、自分は至急彼に会わねばならないのだとまくし立てる。

澤崎には佐伯という男に心当たりがない。彼の煙に巻いたような喋り方に男はイラ立ちを見せる。彼は佐伯について教えてくれたら現金で20万円やると言って銀行の封筒に入った札束を押しつける。それを澤崎は断る。

男は、札束と佐伯が現れたら自分が連絡を取りたがっていたと伝えてくれという言葉を残して事務所を去る。

その直後に澤崎は韮塚という弁護士からの電話を取る。資産家の顧問弁護士を務める韮塚は、自分の雇い主である更科修蔵が仕事を依頼したいので邸まで来てくれと澤崎を呼びつける。

更科の用事というのもルポ・ライター佐伯に関することだった。佐伯は更科の娘・名緒子と婚姻関係にあったが離婚を希望し、木曜日に更科家の人間も交えて話し合うはずだった。佐伯は慰謝料5000万円を要求していたが話し合いの場に表れず失踪。彼が残したメモに澤崎の事務所の名前と電話番号が書かれていたため、手がかりを求めて電話したのだった。

澤崎は名緒子から個人的に佐伯捜しの依頼を受けて調査を開始する。だが、さっそく出かけた佐伯のマンションで刑事の射殺体を発見し事態は混乱。

ここから事態は二転三転、四転五転しながら目まぐるしく動き回り、やがて失踪人捜しだったはずの依頼は都知事狙撃事件の真相と陰謀に迫る大規模な事件になっていく。



『夜は甦る』感想

ハード・ボイルドとは何なのか? という問いはこれまでも繰り返され、様々な人間が自らのハード・ボイルド観を開陳してきた。

一般的なイメージとしてはトレンチコートの襟を立てながら都会の片隅を歩く、暴力にも脅しにも屈しないタフガイが、気取ったセリフで丁々発止のやり取りを繰り返しながら、美女とちょっと良い感じになりつつ事件の真相に迫っていく作品群のことだろうか。

ミステリーとしてのハード・ボイルドは1920年代のアメリカで始まったとされるが、私はこれをアメリカ流の騎士道物語と解釈している。

12~13世紀に欧州で発達した、騎士道と貴女崇拝を主題とした物語文学の総称。韻文または散文で作られ、主にフランス・ドイツ・イギリスで、吟遊詩人たちによって弾き語りされた。
騎士道物語(きしどうものがたり)の意味 - goo国語辞書

 

中世ヨーロッパにおける騎士の精神的支柱をなした気風・道徳。忠誠・武勇に加えて、神への奉仕・廉恥・名誉、婦人への奉仕などを重んじた。
騎士道(きしどう)の意味 - goo国語辞書

封建社会で騎士は主君に絶対の忠誠を誓い、そのために自らの命さえも捧げるが、ハード・ボイルドの探偵役はむしろ権力への反骨心を抱いている。彼らが奉じるのは自らの正義と客観的な事実と、貴婦人が流す黄金の涙だけだ。

騎士の檜舞台である戦場を薄汚れた都会の街角に、輝く甲冑をヨレヨレのコートに替え、神も、絶対的な忠誠を誓う君主も存在しない世界で気高い精神だけを受け継いだのがハード・ボイルドの探偵たちだ。

『夜は甦る』でも澤崎は政財界の大物たちが巡らす陰謀と対峙する。終盤に明かされる真相は何度も捻りが加えられ、今度こそ着地かと思ったところからさらにツイスト、ツイストの連続。

複雑に入り組んだ登場人物たちの思惑がひとつ、またひとつと紐解かれるたび、それまで見えていた景色が裏返されるような爽快感が待っている。そして、最後の一文に込められた皮肉。

現代でハード・ボイルドは真面目にやるほど面白い(滑稽な)ことになる危険性がある。もはやシリアスな作品ではほとんど見当たらず、大衆のボヤッとしたイメージをすくいとったようなパロディに生きるのみだ。

社会の在り方も、そこに生きる人々の心理も高度に複雑化してしまった現代では、騎士道物語を大真面目にやっても時代がかった古典にしかならないということなのかもしれない。

本書も1988年の刊行から時間が経ち、「昔の作品」という印象を否定し得ないのだが、それでも自分の身ひとつで立ち向かっていく主人公の姿には時代を超えた美学が感じられる。

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