漫画

『幸腹グラフィティ』感想 いい子って何だろうね?

大人が「あの子は手がかからなくていい子だね」と口にするとき、そこには少なからず「大人から見て都合がいい子」の意味が込められてないだろうか。

もし、いい子の意味がその程度のものだとしたら、世の子どもはいい子など目指さなくともよい。むしろ幼いうちに学んでおくべきは他人への甘え方だ。

幸腹グラフィティ』は川井マコトによる漫画作品。芳文社の『まんがタイムきららミラク』2012年3月号から2016年11月号まで連載され、2015年にはアニメ化もされた。エンディングのスタッフロールにメカ作画ならぬメシ作画があったことからも分かるとおり、食を題材にした作品。

本作の主人公・町子リョウは仕事で海外赴任になった両親と別れ日本で祖母と暮らしていたが、その祖母が中学生のときに亡くなってしまう。それからは叔母を身近な保護者として一人暮らし。叔母は忙しい人でなかなかリョウとの時間を作れないが、リョウは不平不満を言わず、問題も起こさず暮らしていた。

大人から見れば歳不相応に分別ある手のかからない「いい子」に育った。それこそがリョウの問題だった。

『幸腹グラフィティ』あらすじ

一人暮らしをする中学生の女の子・リョウ。

料理が得意な彼女は、食事を通して 皆とあたたかい関係を築いていきます。食欲をそそる緻密な料理描写&少しエロチックな食事シーンが満載のお食事ストーリー4コマ。寂しい時は、ご飯を食べて一緒にぽかぽかしませんか?

『幸腹グラフィティ』感想

ひとりじゃできないこともある

リョウは仕事に忙殺される叔母の明から正月もひとりにしてしまうと電話を受ける。それに対して「もうすぐ中学3年生だから何でもひとりでできます」と返す姿は、放って置いても問題を起こさないし、わがままを言って困らせもしない大人にとって理想的な「都合のいい子」である。

幸腹グラフィティ

そんなリョウにも悩みがある。最近、料理がヘタになったのだ。理由は不明だが以前ほど美味しく感じられない。

場面は変わって焼き肉屋。リョウのはとこ・森野きりんは焼肉を頬張りながら両親に「東京の美術高校を受験する。そのため東京の塾にも申し込んだ」と事後報告。当然これに母親は激怒するが、きりんは絶対に上京すると譲らない。

きりんは塾の日曜コースに通うため、週末は同じ塾に通う親戚のリョウの家に泊まることになる。

幸腹グラフィティ

はじめてきりんが東京に来た日、リョウは寄せ鍋ではとこをおもてなしする。勢いよくがっつくきりん。それを見てリョウは「一人暮らしになってから料理がヘタになったので自信がなかった」と打ち明ける。

きりんは「そんなことない」と言ってリョウにも鍋を食べさせる。その一口が思いのほか美味しくてリョウは驚く。

「ひとりで食べてたら美味しいはずがない。夕飯って大切な人と過ごす大切な時間なんだよ! リョウにそういう人がいないんだったら、私が今日からリョウの家族になってあげる!」と初対面からグイグイくるきりん。

幸腹グラフィティ

「何でもひとりでできる」とリョウは言ったけど、誰かと一緒にご飯を食べることはひとりじゃできない。

近づきたいけど近づけない微妙な距離感の親子関係

幼いリョウと離れて外国に行ってしまった両親だが、決して娘のことを蔑ろにしていたわけではない。ただ、リョウがあまりにも手の掛からない「いい子」だからそれに寄りかかりすぎてしまい、気がついたときには親子の間に深い溝ができていた

久しぶりに再会した親子はどちらも相手の深いところに踏み込んでいけない。お互いに会えて嬉しいのに遠慮し合いながら手探りで会話を交わす展開が数巻続く。

幸腹グラフィティ

6巻はこれまで登場させてきた複数の家族がそれぞれ関係にひと区切り着ける。町子親子も正月に初日の出を見ながら、これまで言葉にできなかった想いを率直にぶつけ合う。

幸腹グラフィティ6巻 幸腹グラフィティ6巻

「大人になる」とは「人に迷惑をかけない」ことではない

最終巻で大学に合格したリョウは一人暮らしを始める。住み慣れた家を離れる間際にリョウと明は「大人になること」について軽く意見を交わす。

「大人でも一切人に迷惑かけないで生きるなんて絶対不可能なんだから。迷惑の内容とかを改善していくのはいいけど、『ひとり』になろうとするのはやめなさい」

幸腹グラフィティ

ご家庭の教育方針として「うちは細かいこと言わない代わりに、人様に迷惑をかけるなって事だけは教えてるの」という親御さんを見かける。

それはひとつの方針ではあるし、うちの実家も割とそういうスタンスで自分も子供のころからそう言われて育ってきた。だが大人になって周りを見渡してみると、なんか人生いい感じに過ごせてる人ほど他人を頼るのが上手いというか、「他人に迷惑をかけるのは悪」と擦り込まれたまま抜け出せないでいる人間より楽しそうに見えもする。

おそらく迷惑にも程度とか内容の違いとかがあって、世の中の甘えることが上手い人はその辺のラインというか、線引きを察して「お願い」するのが上手いんじゃないかな。それが俺は究極的にヘタで、他人に「お願い」することと「迷惑」をほぼイコールで結んでしまう。

あとは少々の迷惑をかけても互いに「しゃーないなー(笑)」で済ませられる関係性の構築が上手いか。

「他人に迷惑をかけるな」より「寄り掛かっても許し合える関係性を作りなさい」のほうが、本当は重要な教えなのかもしれない。

なぜ自分がこんな人間になってしまったか軽く自己分析すると、子供のころから周りの大人に頼って助けられた記憶があまりなく、困ったとき誰かを頼んでも報われない思いが子供心にも染みつき、そのまま大人になってしまったからかもしれない。

どうせ頼っても迷惑な顔されるだけで終わるなら、自分で片付けてしまったほうがこっちも嫌な思いしないで済むし、相手にも手間取らせないし……なんて思考が常態化してしまっている。

そんな考えで人間を30年続けてるとだいたいのことは独りでできるようになった代わりに、独りではできないことを他人と協力してやるのが億劫な生物になってしまった。

「ひとり」になろうとした訳でもないが、なってしまった人間の現在がこれだから、リョウには明が居て良かったね。

コメントを残す